最近様々な場面で「多様性」という言葉を見かけることが増えました。性や働き方やライフスタイルなど、様々な多様性を知る中で、「ポリアモリー」というライフスタイルについて思ったことから、じぶんの中での良くない考えに気がついたのでそのことについて書きます。
ポリアモリーってなんだ
最初にこのキーワードを見かけたのは4、5年前にネットの記事で、「複数の人と恋愛関係を持つこと」と紹介されていました。LGBT(ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダー)は、じぶんの周りの方や、渋谷区の同性パートナーシップ制度などのニュースで身近に感じていたのですが、「ポリアモリー」については??な状態でした。そんな中で最近ポリアモリーを公言される方が身近にいらっしゃったので、失礼を承知でちょっと質問させていただきました。
わたしの疑問
失礼と無知を承知で、思ったままの疑問を。
LGBTの方は、自我を持ち始めたときからじぶんの性への違和感を感じたり、先天的なものが多いように感じる。ポリアモリーは恋愛関係に関するものなので、後天的なもの?LGBTの方は、差別や偏見に苦しんできた過去を紹介されることも多い、ポリアモリーも同じセクシャルマイノリティなの?ただの浮気や、気の多い人とどう違うの?
返ってきた答えはこちら。
苦しまなくていい
予想外の答えにぽかんとしてしまったのですが、話を聞くにつれ、わたしがいつの間にか「多様性が広く受け入れられる社会になったこと」と「マイノリティが受けてきた苦しみ」に、因果関係を持たせてしまっていたことに気がつきました。
- LGBTは差別や偏見に苦しめられてきた→そういう人もいるしそうじゃない人もいる
- LGBTは先天的なもの→そういう人もいるしそうじゃない人もいる
- 同性パートナーシップ制度など法整備の変化→ライフスタイルの多様化
どんなものでもマイノリティというのは理解されにくいもので、パートナーシップ制度が実現したのは多くの方の苦労や尽力によるものだということは理解しています。しかし、じぶんの中で
「苦しんだから認められた」→「認められるために苦しむことを強要」
になっていなかっただろうか、ハッとして非常にショックを受けました。
よかった
思い出したじぶんのこと
個人的なことですが、20歳の頃好きだった人は女性でした。親しい人にしか話したことがなく、その理由は「バイセクシャルだと思われたくないから」でした。
セクシャルマイノリティになるのが嫌だ、差別されたくない、というわけではなく。わたしは「彼女」が好きだっただけで、他の女性は恋愛の対象ではありません、その後の恋愛対象は全て男性で、いまの主人と結婚しました。「バイセクシャル」という型はわたしには合わない気がして、そこに押し込められるには違和感がある、というのが正解です。
LGBTは、じぶんを他人に端的に紹介するのには便利な言葉に見えます。しかし、他人の性的嗜好を聞いて、「じゃああなたはゲイなんだね」と型に押し込めるのはやめよう、と思いました。
じぶん以外みんな違う、が正解
男でも女でも、LGBTでもポリアモリーでも、その中での一人ひとりは別の人間です。社会が多様性を作るのではなく、多様性が社会を作っていく。じぶんとみんなはそもそも違う人間なんだ、分かり合えなくても当然なんだ、ということを知ることが大事だと感じました。
じぶんと違う価値観の人と出会ったとき、社会のあり方を変えるとき、その人が「どれだけ苦しいか」で判断しないこと。カテゴリーを作るのは周知のためには必要ですが、それを枠とせず、一人ひとりが生きやすい社会になるといいなと思います。
わたしには6歳の息子がいます。この先たくさんの人、様々な価値観に出会うと思います。もし、じぶんと違う価値観に出会って戸惑うことがあっても、「○○というマイノリティがあってね」ではなく、「何もおかしくないよ!みんな違う価値観で当然なんだよ」と言えるじぶんでありたいと思います。