デザイナーとは何をするひとなのか、どこまでデザイナーなのか。定義は人それぞれですが、様々なことを知るにつれじぶんの定義も変わっていくのを感じながら日々過ごしています。言語化するのはなかなか難しいのですが、以前書いた「デザインする上で大切にしていること」からもう少し広いお話です。
デザイナーとは何か
「デザイナーとアーティストは違う」これは高校生のころに教わって今でも指針にしている言葉の一つです。「デザイナーはクライアントの代弁者、デザインは問題解決」というのがじぶんの認識です。見た目だけのデザイナーはだめ、デザイナーのエゴではだめ、全くごもっともですが、では「デザイナーが見た目にこだわるのは悪いこと」なんでしょうか?
どこからがデザイン?
デザイン書を開けば、配色、レイアウト、フォトレタッチ、文字組…デザイナーが手を動かす範囲はとても広くなっています。では、どこからが「デザイン」なのでしょうか?
わたしが文字詰めについて知ったのは、恥ずかしながらデザイナーになってから。デザインカンプの打ちっぱなしの見出しテキストを、ディレクターさんから指摘され、「やばい!文字詰めしないとデザイナーじゃないんだ!!」と思って焦って勉強を始めました。
いまになって思うことは、実はこれは逆で、「優れたデザイナーは文字詰めをしている」というだけだと思っています。それは例えば、フォトレタッチや配色でも同じことです。デザインには「デザインの下ごしらえ」「問題解決のためのデザイン」の二つ過程があると思います。
デザインの下ごしらえ
人間というのは欲張りなもので、「美人は3日で飽きる」という言葉がありますが、デザインでも同じようなもので、「きれいなものは空気になる」と思っています。
この写真を見て、気になることはありますか?わたしはありません。とても自然な写真です。しかし想像ですが、これは色味を調整して水平を整えてゆがみを取ってゴミもレタッチして、すごく作り込まれた「空気のような自然な」写真だと思います。写真素材:ぱくたそ「温泉宿の和室」
例えばこの畳の上にゴミが落ちていたら、不用意に「気になってしまう」部分は雑音になります。ゴミを取り除くフォトレタッチも、ストレスなく読ませる文字組も、自然な配色も、視線を迷わせないレイアウトも、「気にさせない、デザインの下ごしらえ」なのです。そしてそれは「デザインの必須条件」ではありません。「問題解決のための一工程」、マナーのようなものだと思っています。そう言うと、直接デザインには貢献しないように聞こえますが、最終的な仕上がりを大きく左右する大事なものだと思います。
デザインで大事なのは「考えること」
デザイナーの仕事は、文字を揃えることでも、きれいな色を選ぶことでも、美しいフォトレタッチを披露することでもなく、「クライアントさんの問題をどうやって解決するか」「その為にどんなデザインでアプローチするのか」考えることです。それによって「どう感じさせたいか」を考えることです。
「デザインの下ごしらえ」と書きましたが、叶えたいデザインに対してただ一つの正解があるわけではありません。それぞれのデザインに対して、どのような下ごしらえを行うか、それを考えるのもまたデザインです。文字組の勉強を始めたとき、どうしても「女性向けに最適なフォントは?組み方は?」という正解を求めてしまいましたが、勉強するにつれ、「何を選ぶかを考える」ことが大事なんだ、そのために「フォントを知る、文字を組む理由を知る」のだと思うようになりました。
下ごしらえのテクニックはどんどん自動化されていきます。でも、デザイナーがそれで仕事を失うことはないと思います。機械は「なぜそれをするのか」は考えてくれないからです。むしろ下ごしらえが自動化できることで、その分「考えること」に専念できる時間が増えるのは歓迎だと思います。
見た目にこだわるデザインはだめ?
デザイナーは「下ごしらえのテクニック」と「問題解決のためのデザイン」両面から成りたっていると書いてきました。しかし、テクニックの探求の部分だけを抜き出して「デザイナーは見た目のことしか考えていない」と揶揄されることもあります。
自分でも、色の美しさを求めたり形を何度も調整していると、はたと「じぶんは本当にデザインをしているのだろうか、」と不安に思うときがあります。手元ばかり見て全体が見えていないのではないかと。そんなとき、Twitterで高橋としゆきさん(Adobe24時間IllustratorイベントのAiグランプリ!)がこんなことをつぶやいていらっしゃって、ああ高橋さんでもそんなことを悩んだりされるのだな、みんな一緒なんだなと思いました。
自分の場合、デザインにすごく集中できてるとき(平たく言うとゾーンに入ってるとき)って、本当に申し訳ないけど、クライアントがどうとか、ユーザーがどうとかほとんど考えてない気がしてて。それにすごく罪悪感みたいなのを感じたりする。それはたぶん健全ではないよなって
— 高橋としゆき (@gautt) 2015, 5月 11
@gautt デザインはアートじゃないですが、やっぱり「なんかこの色好き」とか「なんか気持ちいい」という感覚的な部分って絶対必要だと思うので、それがなくなったらデザイン続けられないですね( ˘ω˘;)そしてなくなることはないと思います。 — すぴかあやかAyakaSumida (@spicagraph) 2015, 5月 11
@spicagraph ですねー。デザイン≠アートですけど、一方がもう一方を内包することもあると思ってます。いわゆる「理論(セオリー)」と「感覚(好み)」が重なるグレーゾーンの中でうまくバランスをとるのがデザイナーの仕事なのかもですね
— 高橋としゆき (@gautt) 2015, 5月 11
デザインがアートを内包する、というのはとてもしっくりきて、デザインとアートは別物!と頑に思ってきた意識が少し変わりました。センスと言うか、「なんかきれい」「よくわからないけど好き」というのはあるものだと思います。それはデザイナー個々の日々の探求から生まれるし、そこから自分の中のセオリーを作って行くこともできるんじゃないかと思います。
「見た目にこだわることの是非」より、大事なのは「なぜ、何のためにそれをするのか」ということ、それを忘れないようにしたいなと思っています。
まとめ
デザイナーと名乗りはじめてもう10年をとうに過ぎました。しかし知れば知るほど、じぶんはまだ土台すら作れていないと感じます…。しかし、何度も書きますが大事なのは「考えること」。俺たちのデザインはこれからだぜ!!